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大吉寺と大吉寺跡 曹洞宗実宰院 近江孤蓬庵
醍醐寺 五先賢の館 姉川古戦場
浅井能楽資料館 浅井町文化スポーツ公園 今荘ぶどう園
鳥越峠 七曲峠の道 谷坂隧道
銘木「谷口杉」(谷口) 西池(池奥・高畑) もぐさ(野瀬)
浅井ふれあいの里 お市の里  

 

 

 

 

 

 

大吉寺と大吉寺跡
 

野瀬の字の中央に流れる大吉寺川に沿って上流へ山裾を登って行くと山麓の林の中に昔ながらの苔むした石垣の上に、山門と一子院があり、そこより自然石の階段を少し上がった所に、小振りの本堂がある。木造聖観音立像(秘仏)をはじめ、仏像4躯、両界曼荼羅、源頼朝公判物、足利将軍御教書など平安、鎌倉、室町、江戸時代の多くの寺宝を所有している。
 それよりさらに千何百年の肌あいを伝える石垣の谷間を天吉山頂へ600mほど登った所に、前述した大吉寺跡が広がる。仁王門跡、本堂跡、経堂跡、石塔台座、鐘楼堂跡、堂跡、三重の塔跡、覚道上人入定窟、元池、手水鉢などがあり、片隅に一基の宝塔がある。頼朝公供養塔とも呼んでいるが、その台石の格狭間には蓬が彫ってあり、珍しい。また、銘によると建長3年(1251年)に宝塔が作られているが、この類では日本で3番目に古いものといわれている。
 壮大なる興隆を極めた大吉寺の歴史も、今日では老杉や宝塔、石積みのたたずまいが、かっての聖地を偲ばせてくれる。


大吉寺虫供養

毎年9月15日に行われている虫供養は、江戸時代から380年以上続いている。古式にのっとって行われ、供養の世話をする頭人は、家運の隆盛を祝い、盛大にその年の虫供養を営む。この供養は、源頼朝が起源と言われ、ている。鎌倉幕府を樹立した頼朝は大吉寺に塔堂の再建と寺領の寄進状や虫供養の文章を送り、それが大吉寺の虫供養の始まりと言われている。


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曹洞宗実宰院
 鎌倉以前の創建と言われ、小谷山に居城を構えた浅井の2代目久政の長女阿久姫(長政の姉)は、仏道修行を志し、出家され昌安見久尼と申した。父、久政は当村庄屋平野左近助に頼み状を遣わし、天文11年3月5日、当時無住と化していたこの庵を再興された。寺伝によると、ご本尊は宇多天皇のご持物観世音菩薩であり、尼の坐像は豊臣秀吉の室、淀公寄進のもので、共に寺宝とされている。また、長政とお市の間に生まれた、茶々、お初、小督の3人の姫は、戦国の乱世、この庵で匿われ、浅井家終焉の際には見久尼自らが養育されるところとなった。秀吉は後の世になって50石の朱印地を与え、徳川時代になっても徳川秀忠の妻ゆかりの地として護符されてきた。苔むす庭園は室町時代の築造である。

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近江孤蓬庵(小堀遠州侯菩提寺)  

 小室城主であった小堀家の菩提寺として遠州の没後、承応2年(1653年)に菩提を弔うために二代目城主宗慶(正之)が京都大徳寺から僧円恵を招いて開山した。遠州が京都大徳寺に建立した孤蓬庵にちなんで近江孤蓬庵とし、遠州をはじめ小堀家代々の墓がある。江戸時代後期、伏見奉行を勤めていた六代目藩主政方の時の、小堀家改易とともに衰え、明治維新後無住のまま荒廃していた。
 昭和40年(1965年)小堀定泰が再築し、遠州好みの庭も同時に補修整備された。庭園入口には茶亭門があり、本堂南には枯山水と、東に面した池泉回遊式庭園があり県の名勝に指定されている。近江八景を模したといわれる池の護岸及び築山の石組みも小ぶりで、穏やかで自然に溶け込んでいる。楓の林と美しい苔が調和して、その美しさと格調の高さは格別である。本堂縁先の手水鉢も名品である。 

・休館日 毎年11月17日
・開館時間 午前8時30分〜午後5時
・入館料  お志しとして500円程度
・問合せ先 近江孤蓬庵
       (074−74−2116)

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醍醐寺  

 一山内に四九坊を有した。町内随一の由緒ある真言宗の寺院で、後白河天皇の御代(1160年頃)覚辺上人がこの地に留まり、真言宗新義の教風を宣し復興されたものである。元醍醐寺本堂は、現本堂の約200m北の本堂中腹にあり、現在地に移転されたもので元屋敷は奥の院(不動堂)として残されている。現本堂へ通じる山道には、山門(仁王門)があったと伝えられ、その跡が現存している。
 また、その当時を偲ぶ仏像・法具・古文書等、平安・鎌倉・室町時代の文化財が数多く、往古より今日に至る長年月間、幾多時代の変遷の中にありながら、数多くの重宝物が護持、保存されている。中でも、重要文化財指定の木造毘沙門天立像(像高52cm・鎌倉時代)運慶の作は見事である。 
・問合せ先 浅井町教育委員会
       生涯学習課(0749−74−4359)
 

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五先賢の館  
 豊かな緑に囲まれた閑静な地に建つ瓦葺平屋建の和風建築、五先賢の館。相応和尚・海北友松・片桐且元・小堀遠州・小野湖山の五先賢と近江戦国の道のシンボルマークであるステンドグラスを彩った六角形の塔が目を引きます。各賢人に関する資料の収集、保存、展示を通じて、その行き方に触れることができるほか、新しい淡海文化の創造を目指し近江歴史回廊、戦国の道ルートの拠点施設ともなっているため、歴史・文化・観光の情報の発信の場として広く愛されています。
・休館日 毎週水曜日、祝日の翌日、年末年始
・開館時間 午前9時〜午後5時
・入場料 大人 200円、小人 150円
・問合せ先 五先賢の館(0749−74−0560)

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 姉川古戦場  
 元亀元年(1570年)6月28日、浅井町の南、姉川をはさんで北に陣取る浅井・朝倉連合軍推定18、000人、片や南に織田・徳川連合軍推定28、000人。徳川方から仕掛けられたこの戦いは最初、浅井・朝倉軍が優勢で、織田方は、13段構えの陣を11段まで突破され、信長の面前に刀・槍が突き出るまでにいたったとされる。しかし徳川軍の力戦によって朝倉軍が後退したため、浅井軍は右翼から崩れ始め、これに力を得た織田軍も総攻撃に転じ、ついに浅井・朝倉軍は小谷城へ敗走した。戦いは午前5時に始まり、午後2時頃終わったとされている。
 この戦いによる戦死者は、浅井・朝倉軍1、700余人、織田・徳川軍800余人とみられ、負傷者はその3倍にもおよび、清らかな姉川の流れも数多くの死傷者の真っ赤な鮮血に染まったと伝えられている。血原、血川という地名が当時の惨状を伝えている。当時、浅井長政25歳、織田信長36歳であった。
 この後、一時和議が成立したが、天正元年(1573年)8月浅井氏は小谷城において滅びた。戦国三大合戦といわれるこの戦いは信長の天下統一への大きな足がかりとなった。

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浅井能楽資料館(力丸)  

浅井町の織物の歴史は、聖徳太子の頃、大陸から織物の技術を伝えたという弓月の君の伝説をはじめ、町内のあちこちに遺跡が見られることから、6、7世紀まで遡る。
 江戸時代には、山間の各地や、姉川・高時川の下流地域で養蚕が盛んになり、製糸や織物は重要な産業となった。現在も、木之本町大音と共に全国の琴や三味線の糸に用いられる特殊生糸の生産をしている。
 またこの地でとれる山繭(天蚕ともいい、くぬぎの葉を食べる大型の山蛾で黄緑色の繭を作る)は抜群の光沢と抗張力に富み、昔から京都西陣等に珍重されてきた。それらの優れた絹糸を使って江戸時代から能装束が作られ、県の伝統的工芸品に指定されている。
 ここでは衣装の展示や解説の他、予約をすれば蚕飼、繰糸、染め、織りなどの体験もでき、見て触れて学べる資料館である。

・会館時間  午前10時〜午後5時
・休館日   月曜日、12月20日〜1月20日
・有料
・問合せ   0749-74-3871

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浅井町文化スポーツ公園  
 浅井町民のスポーツ・文化レクレーション活動の促進と振興を目指した浅井町文化スポーツ公園。野球場、テニスコート、多目的グラウンド、スケート場、希望の郷公園、梅林園等の施設がある。また、文化ゾーンであるお市の里には、緑豊かな景観の中に、図書館や、郷土学習館、七りん館等の文化施設が集められており、浅井町の歴史や文化、産業の進化を実感し、多角的に理解するための一大文化拠点となっている。
(七りん館)
この建物は、鍛冶屋(字名)の庄屋の家で、文化元年(1804年)建造の旧家を移築した展示館である。かってのこの地の生活・鍛冶・養蚕・糸引きの資料が展示してある。豊富な資料からは、歴史と今日の文化につながる工夫の兆しを見出すことができる。七りん館は「七輪五徳」から命名されたものである。
・開館時間 午前9時〜午後5時
・休館日  月・火曜日(祝日は開館)
        祝日の翌日(土・日は開館)
・一部有料施設あり
・駐車場あり
・問合せ   0749−74−0101

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今荘ぶどう園  
開園時期 8月上旬〜9月下旬
入場料  個人(大人 1、100円、小人 800円、
      幼児500円)、団体(30名様以上10%割引)
問合せ先 今荘ぶどう生産組合(0749−74−1322)

 七尾山麓に観光ぶどう園が広がる。ここのブドウは甘いということで定評があり、8月上旬から9月下旬までの間、観光ぶどう園として開放される。町内だけでなく、京阪神からも家族連れなどの観光客が多く訪れる。

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鳥越峠
 草野川の源流金糞岳(1317m)の谷を越えて岐阜県にぬける、険しい山越えの道である。鳥越峠という名前は、鳥でもなければ簡単に越えられない厳しい峠の健脚道からつけられてのであろう。江戸時代の終わり、慶応2年(1866年)彦根藩の大庄屋であった尊勝寺の山脇新九郎は巨額を投じて牛車道を完成した。古くから美濃と近江を結ぶ生活の道、文化の道として栄えてきたこの峠の道は新九郎坂の完成で、さらに商人、農民、旅人が盛んに行き交うことになった。今も新九郎坂の石垣等が残り、当時の面影を伝えている。また山脇新九郎の仁君の碑が岡の腰古墳にある。現在、広域基幹林道鳥越線として新しく生まれ変わろうとしている。

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七曲峠の道
 鍛冶屋追分から坂田郡伊吹町吉槻を結ぶ山越えの道が七曲峠道である。
何百年も昔から生活の主要道路として栄え、教如上人がこの峠を越えて布教されたともいわれている。また石田三成が関ヶ原の合戦に敗れて逃げた時に通った道でもある。
昭和58年に林道が整備され伊吹町も近くなり、現在は生活道路として利用されている。

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谷坂隧道
 町内中央部に張り出した、太尾山の峰で二分され交通不便な地域であったが、田根・上草野村民の熱望により、昭和10年11月に開通した。入口の石積みは、アールデコ風で当時のモダンなデザインである。

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銘木「谷口杉」(谷口)  
江戸時代、この地区は旧田根村の中で唯一天領であり、厳しく入山が制限されていたので立派な林相が維持されてきたと考えられている。さらに、その昔、大水害を受け、集落の人々は山の皆伐を恐れて、ヌキ切り作業による山の管理を行い、それが後世に受継がれて来たといわれている。また、逆に木材の生産、販売を目的に良質材生産を目指して意欲的に森林施業に取組み、今日の択伐林の基礎が形成された。谷口の林地に入って見ると樹齢200〜300年の立派なスギがどこまでも林立し、清らかな杉林の香りを漂わせている。
問合せ先
・東浅井郡森林組合(0749−74−0276)または
・浅井町役場まちづくり課(0749−74−4351)

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西池(池奥・高畑)  
非常に古くからある灌漑用貯水池。物部守屋が作らせたという伝説もある。野鳥観察のできる「西池野鳥ふれあいの家」がある。
 周辺は禁猟区に指定され、水鳥の絶好の休息地になっている。冬期、多い時には1000羽を越える水鳥が羽を休めている。ヒシクイやカモをはじめとする渡り鳥が多く、ヨシの中には、サギ類も潜み、定住しているオシドリが30羽ほどいて地元で大切にされている。またオオヒシクイの日本南限の飛来地でもあり、学者をはじめ多くの愛鳥家が訪れ、バードウォッチングが楽しめる。

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もぐさ(野瀬)
金糞岳をはじめ伊吹山系の高地に自生するイブキヨモギは古くから最良とされている。
戦国・江戸時代よりお灸の治療は盛んに行われ、全国への行商が行われていた。現在も色々と工夫されたお灸が開発され大きな産業となっている。

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浅井ふれあいの里  
浅井ふれあいの里では、地元の野菜・物産品・手作り工芸品・お土産品などを取り揃え、皆様のお越しをお待ちしております。また、喫茶・軽食コーナーでは、麺類などのお食事をご用意しておりますのでお気軽にご利用ください。

問合せ先
ふれあいの里 (0749−74−8282)
まちづくり課  (0749−74−3020)

 

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お市の里  
信長の妹であり浅井長政の妻であった「お市の方」の生き方にちなみ、時代を超えて受け継がれてきた暮らしを豊かにする知恵と技術を集めた「お市の里」は浅井町の歴史や文化、産業の進化を実感し、多角的に理解できる一大文化拠点です。
  問合せ先
お市の里 (0749−74−0101)

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